第二十回文学フリマ告知

文フリ行きません。労働です。世界は腐敗と悲嘆に満ちているというのに何が平和島だ。

『Flippant Segment』(だれにもわからない。 C−37)

四流色夜空(@yorui_yozora)さんのサークル「だれにもわからない。」の同人誌『Flippant Segment』に短歌20首「仮の橋」を寄稿しています。ブースはC−37です。よろしくお願いします。詳細下記URLです。

http://yozora.hatenablog.com/entry/2015/04/15/001511

ゆるキャラがすごい速さでやってきて握手をなすりつけようとする
超うまいスキーの動画をずっと観てそのあと玉音放送を聴いた

 こういう短歌が中心です。



『なぜ52進法は定着しないのか?』(稀風社 E−19)

詳細下記URLです。僕の文章は少ないです。文学フリマとは何か。文学フリマとは何だったのか。文学フリマは何を喪い、どこへ向かうのか。そういうことを考えながら作った本です。稀風社による「文学フリマ」への鎮魂歌のつもりです。よろしくお願いします。
http://kifusha.hatenablog.com/entry/2015/04/27/055532



『海岸幼稚園(重版)』(稀風社 E−19)

品切れしてましたが重版しました。よろしくお願いします。

 この歌集『海岸幼稚園』は平成二十六年の五月に刊行されたもので、『さよならが来るのを待っている君へ』に続く、僕と三上春海の習作、あるいは競作としての第二歌集である。僕の作品については平成二十五年の春あたりから、翌平成二十六年の春あたりまでの作品を収めたはずだ。
 正直そのころの僕はまだ、自分が短歌でやろうとしていることが一体どんなことであるのか、全く言語化できていなかった(短歌を作っていて楽しい時期というのはそういう時分ではないかという気もする)。しかし、今(二十七年四月)の僕にはそれがぼんやりながらわかっている。「見る」ことの正体は「記憶」なのだ。より確かなことを言えば、何を「忘れ」、何を「思い出す」のかというところに人の生の本質があるのではないかという気がするのだ。そう考えると冒頭の一首というのはなかなか象徴的で、僕たちは「記憶」という遠近法によって描かれた一枚絵の深遠へと目を凝らし続けることでしか、おのれの生を確立しえないのではないだろうか。だから言語表現におけるアクチュアリティというのはつねに虚構にすぎない。
 また、それを思うと、.あいあ氏による素晴らしい装画に描かれた奥行きのある光景、そしてそれを纏った本書も、僕にとって愛おしいものに感じられる。(鈴木) (平成二十七年四月、第二刷に際して記す)

 あとがきだけ替えました。中身は一緒です。まだ持ってない人はちょっとまずいと思います。よろしくお願いします。